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アルアイレとアポヤンド、そしてパコ・デ・ルシアの音【ギタリストのための音の科学 14】

クラシックギター教則本の最初の方に必ず書いてある、アルアイレ奏法とアポヤンド奏法。アルアイレは弦をはじいた指が隣の弦に触れない奏法で、アポヤンドは弦をはじいた指を隣の弦に触れて止める奏法です。技術的な違いはどの教則本にも書かれていますが、両者によって生み出される音は何がどう違っているのか、その理由は何かについて説明してる教則本は見たことがありません。

何も説明してくれないので、最初にアルアイレとアポヤンドについての記述を目にした時、私は「音の大きさは弦をはじく強さの問題で、はじいた後の指がどこに行こうと音には関係ないだろ?」と思ってしまいました。まあ、この考え方は半分は合っていて、ただ気付いてない点があるのですが。

実際にアルアイレとアポヤンドで音を出してみると、その違いは明らかです。アポヤンドの方が大きく太い音がします。ここで問題です。アポヤンドの方が大きな音になるのは、はじく際の弦の変位を大きくとりやすいから、という点はクラシックギタリストであれば誰でもわかると思いますが、アポヤンドの方が「太い音」になるのは何故でしょうか? そしてそもそも、「太い音」とはどういう音でしょうか?

アルアイレとアポヤンドの音を実際に出して測定してみましたので、後で測定結果のグラフを示します。そのグラフを見ると、「太い音」の正体がわかるのですが、その前に、両奏法の違いと、それによる「太い音」への影響を考えてみます。

もちろん、「はじいた後の指がどこに行こうと音には関係ない」というのは間違ってません。指で弦を弾いた瞬間に音は決まってますから、その後で指が隣の弦に触れるか否かは音にほとんど関係しません。ただし、アルアイレとアポヤンドでは、弦をはじく方向が異なります。

アポヤンドは弦を表板の方に押し込んで放します。すなわ、弦は表板に垂直な方向に振動します。一方、アルアイレでは(弾き方によりますが)一般的にはアポヤンドほど表板に垂直にはならず、水平方向にはじく傾向があります。アルアイレでアポヤンドに近い音を出すための技術として、「弦を押し込んで弾け」と言われますが、それはアポヤンドのように表板に垂直な振動をさせろ、という意味になります。

弦が表板に垂直に振動すると、それはブリッジを通じて表板に伝わり表板の垂直振動を引き起こします。表板の垂直振動によって発生する音(=空気の振動)が、ギターの主要な音源のひとつですから(もうひとつはボディ内の空気の振動)、アポヤンドは、

弦の垂直振動 → ブリッジの垂直振動 → 表板の垂直振動 → 空気の振動(表板に対して垂直)

というダイレクトに垂直振動が伝わる奏法ということになります。

つまり、アルアイレは表板に水平な振動、アポヤンドは表板に垂直な振動、という傾向が強い、ということです。

ここで、アルアイレとアポヤンドの音のグラフを見てみましょう。

2弦の開放を爪を当てずにアルアイレとアポヤンドで弾いてみました。2弦以外は消音し、弾弦の位置はサウンドホール真ん中付近、アルアイレはアポヤンドに近付ける「押し込んで弾く」をしていません。

まずはアルアイレ。

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2弦開放 アルアイレ

次にアポヤンド。

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2弦開放 アポヤンド

違いは明らかです。アポヤンドはアルアイレに比べて、主音(約247Hz)以外の倍音成分のピークが低くなっています。すなわち、アポヤンドの音は主音成分の割合が多い(=倍音成分が少ない)音になっています。

また、主音よりも低周波成分(楽器としての一種のバックグラウンドのようなものでしょうか?)もアポヤンドの方がアルアイレよりも多くなっています。

以上2点の違いが、アポヤンドの「太い音」を作っていると思われます。アポヤンドの音を「太い」と表現することに違和感を覚えるクラシックギタリストは少ないと思いますが、「太い」をより客観的に表現すると、高周波倍音成分の少なさおよび低周波成分の多さ、と言えるでしょう。

さて、アポヤンド奏法の表板に対する垂直振動が、低周波成分を太らせ、高周波成分(倍音)を細らせる理由ですが、次のように考えられると思います。

ギターの表板の垂直振動はトランポリンのような膜の振動と考えられますが、その形状(比較的大きな膜)からして、波長の長い振動(=低周波、低音)が生じやすいと思われます。

一方、弦の表板に対する水平振動はギター側板に伝わって側板を垂直振動させますが、側板の形状は表板に比べて振動する部分が短く、波長の短い振動(=高周波、高音)が生じやすい傾向があるでしょう。

以上で、アポヤンドの音のカラクリが見えたと思います。振動の垂直・水平とボディ板形状の組み合わせで、アポヤンドは相対的に低音成分が多く高音成分が少なくなるのでしょう。

このあたりの事情ですが、以下の論文に少々詳しく(モード解析という手法を使っています)書いてあります。

JAIRO | ギターのアポヤンド奏法とアルアイレ奏法

この論文では音の減衰についても測定していて、アポヤンドの方が減衰が少ないという結論になっています。私の測定では、減衰曲線の精度も悪いですし、残念ながら、そこまでの解析は出来ていません。

この論文、他にも面白い事が書いてあります。

垂直振動と水平振動を人工的に合成し、その音をギター経験者に聞いてもらい、その印象をまとめているのですが、垂直:水平を10:1で合成した音を聞いたフラメンコギター上級者は、その音を「パコ・デ・ルシア風」と評しています。

パコ・デ・ルシアの(おそらく)強烈なアポヤンドで生み出される垂直振動による音は、垂直成分が大部分という合成音に似ているということです。実際に、並のギタリストに比べて、パコ・デ・ルシアのアポヤンドは垂直振動成分の割合が高いのかもしれません。非常に興味深いです。