科学と技術を雑学的に気まぐれに語るブログ 

科学と技術に関係したエッセイのようなもの

「遠達性」の謎に迫る(下)【ギタリストのための音の科学 16】

前回の『「遠達性」の謎に迫る(上)』の続きです。まだ読んでない方はそちらから先にお願いします。

いわゆる「遠達性」について、音の質が影響しているという可能性を考えていて、私は「これこれこういう音は遠達性が高い」という仮説を持っていました。ただし、その仮説を実証する実験も出来ませんし、その仮説の理論的裏付けもありませんでしたので、それは自分の頭の中だけにしまっていて、誰にも話したことはありませんでした。

その仮説とは、

  • 倍音成分が小さい音は遠達性が高い

です。

感覚的には、音のエネルギーが同一ならば、そのエネルギーが様々な倍音に分かれてしまうよりも、基音(主音)に全体のエネルギーが集中していた方が、音が遠くまで届きそうに思えたのでした。実際には倍音をゼロにすることは出来ませんので、倍音成分が弱い音(基音のエネルギーの割合が大きい)が遠達性が高いということになります。

最近まで、私はこの仮説に根拠を見出すことが出来ませんでしたが、ついこの前、遠達性についてぼんやりと考えている時にあることを思いつき、調べてみたらその思いつきが正しいということが分かりました。

その思いつきとは、

  • 周波数が高い音(高音)ほど減衰率が大きい

です。

音のエネルギーは基本的に伝達距離の2乗に反比例するように減衰していきます(ただし、人間の聴覚はその対数をとったように感じます)が、距離だけの問題ではなく、周波数が高い音(高音)は、周波数が低い音(低音)よりも減衰率が高い(急に減衰する)のではないかと思い至ったのでした。

減衰率と周波数の関係については、ネット上にいくつもの文献、論文がみつかりますが、例えば「屋外の音の伝搬における空気吸収の計算」があります。

この記事はあまり簡単ではないので、直感的に理解しやすい説明をすると(多少は厳密さを欠きますが)、以下のようになります。

  1. 音は空気の振動が伝わる現象である
  2. 空気にはわずかに粘性があるため、振動に対する摩擦のような抵抗(粘性抵抗)がある
  3. 周波数が高い音は振動回数が多いため単位時間あたりに受ける抵抗総量が大きくなる
  4. 従って、周波数が高い音は速く減衰する(減衰率が高い)

どうでしょう、周波数が高い音(高音)が速く減衰するイメージが出来ましたでしょうか?

お風呂に入って湯船に小刻みな波を立てると、その波はすぐに減衰して消えてしまいますが、ゆったりと揺れる波を作ると、それは長時間そのまま揺れ続けますよね? 水の粘性抵抗があるため、小刻みな(周波数が高い)波は速く減衰してしまうのです。

このように、周波数の高い音の減衰率が高いと、基音よりも2倍音、2倍音よりも3倍音の方が速く減衰してしまいます。ですから、主音の割合が大きい(=倍音成分が小さい)音の方が音全体としては減衰率が低く、それは即ち「遠達性が高い」ということになります。

この「振動に対する抵抗」の他にもうひとつ、別の意味での減衰に関係することがあります。

それは障害物に対する透過性です。コンサートホールなどでは演奏者の音は人や椅子で遮られます。ただし、音(=波)には障害物を回折する(障害物の影に回り込んで伝わる)性質があり、障害物で完全に遮られるわけではありません。

この回折現象ですが、これもまた周波数に関係していて、周波数の低い波(波長が長い波)ほど障害物の影響を受けにくく、周波数の高い波(波長が短い波)ほど障害物の影響を強く受けます。つまり、低音ほど障害物の影響で減衰しにくい、ということです。(高校の物理でも出てきた気がします)

マンションで楽器の練習をすると、隣の部屋には低音がよく伝わる理由のひとつが、この回折性の違いです。

上記の2点、

  1. 振動の抵抗による減衰率は高音の方が大きい
  2. 障害物による減衰率は高音の方が大きい

によって、倍音成分が小さい音は遠達性が高い」の裏付けが出来たと思います。

残念ながら、私がこの仮説を実験で確かめることは設備面で出来ませんが、それなりに説得力のある仮説になったとは思います。

倍音成分が小さい音は遠達性が高い」が正しいとすると、「アルアイレとアポヤンド、そしてパコ・デ・ルシアの音」で書いたように、アポヤンドの方がアルアイレよりも遠達性が高い、ということになります。これは多くのギタリストの実感とも一致するのではないでしょうか?

以上、2回に渡って遠達性について考察してみましたが、いかがでしたでしょうか? 遠達性の議論について、ある程度信頼性のあるベースを作ることは出来たのではないかと思います。